妊活の知恵倉庫

2020-01-27 18:52:00

年末に心揺さぶられる動画を目にしました。

 

(↓動画を貼りましたが、youtubeじゃないと再生できないらしいです。是非youtubeで見て欲しいです。)

 

”パプリカ”は知っている人も多いでしょう。

 

それを歌って踊っている子供たちはFoorinというグループですが、その子たちが様々な障碍を持つ子たちと一緒にパプリカを奏で、踊る姿を撮ったドキュメンタリー番組です。

 

5分番組なので動画はとても短いですが、障碍のあるなしに関係なく”子供らしさ”が溢れた映像に、ふと涙腺が緩みました。

 

今年は東京オリンピック・パラリンピックの開催で日本が盛り上がることは必至。

 

競技自体の面白みはもちろんですが、こうして障碍者へ視野が広がることは素晴らしいことだと思います。

 

今回はいつもの妊活とは大きく反れてしまいますが、たまたま私が出会ったこの動画がこのブログ記事となり、それが他の人へも繋がり、障碍者も住み良い世の中になるような自論を書きたいと思います。

あなたは障碍を持つ方とどう向き合っていますか?

 

・大変そうなので、手伝えることがあったら手伝いたい。でも、どうして良いかわからないので、見過ごしている。

 

・不意に見かけた時にびっくりしてしまったり、「可哀そう」と思ったり、逆に怪訝な態度をとってしまう。

 

・興味本位で何度も見てしまったり、こっちからは何もしないから関わらないで欲しいと思ってしまう。

 

私の場合は上に書いたような反応ばかりしてしまいます。

 

褒められた言動は全くなく、書いていて”恥”を感じるレベルですが、ほとんどの方が私と同じではないでしょうか。

 

何がいけないって、何もしないのは多分そんなに問題ないことだと思っています。

 

もし自分の目が見えなかったら?音が聞こえなかったら?手が無かったら?上手く歩けなかったら?

 

それを色んな人に補助して欲しいかというと、そうでもない気がします。

 

ですが、それは勝手にたった数分~数時間程度考えてみただけのことで、人生に渡りその状態である人の気持ちは絶対にわかり得ないはので、考えるだけ無駄でしょう。

 

”SOS”を出した時に助けるのは障碍の有無は関係なく助けるで良いと思います。

障碍者を傷つけている一番の原因は視線や蔑みの言葉ではないでしょうか。

 

これは自分が何かしてしまった時に周りに変な目で見られるようなことからイメージしやすく、これに慣れることは無いんじゃないかなと思います。

 

視線は時にナイフの様に突き刺さり、しかも直接”ココロ”に刺さります。

 

これは本当にいけないことだと思いますが、治そうと思っても簡単に治せるものではありません。

 

ふと腕のない方を見た時にはビックリしてしまったり、目が見えない方と接する時はどうしても目元を見てしまい、ギクッとしてしまいます。

 

公共の場で奇声を発する人がいる時は、蔑みに近い目で見てしまっているかもしれません。

 

これは反射に近い反応で、治せないからといって、それは本来の人間性とも違う気がします。

 

そういった反応をしてしまうたび、そうした自分を責める感情が湧きましたが、答えは出てきませんでした。

 

しかし、上に貼った動画(ここでは見れませんが)は、その答えを示しているように感じませんか?

 

所詮番組の企画ですので作られた部分も多いと思いますが、当の子供たち全員の顔はスゴく輝いているように見えます。

 

これを見た時に、私は”対等であろう”としているだけの愚か者であり、Foorinの子たちは”心から対等である”ことを知っているんだなぁと感じました。

 

つまり、その答えは『触れ合うこと』。

 

何も知らない子供は、顔面麻痺で顔が歪んでいたり、足の麻痺で上手く歩けない方など、たまに見かける障碍者を”異”としか見れず、その違いを嘲笑ってしまうこともあるでしょう。

 

純粋であるほど、その感情は凶器ともなり得ます。

 

しかし、そういう事実と『触れ合い、”障碍”を知った時』、子供の顔は真剣になります。

 

例えば、自分の友達が事故で障碍を負った場合、笑うでしょうか。

 

障碍を負っているのが後か先かだけで友情に変化はないはずです。

きっと今の時点で心の底から対等である気持ちを持っていない人(私のことですが)は、圧倒的に障碍を持たれている人とのコミュニケーションが足りていないのでしょう。

 

コミュニケーション不足なのに、勝手に自分の頭で考えるだけなので、とっさの行動に繋がらず、傷つけてしまう。

 

これではいけません。

 

障碍の方との意識の差を埋めるためには、もっとコミュニケーションを深めること以外にないでしょう。

 

ここで論じているのも、机上の空論です。

 

実際に行動あるのみ。

 

特に子供はその部分は白紙なはずです。

 

そこに健常と障碍を分けて描かれるのでなく、混ざって描かれることができたなら、障碍を持つ方に視線のナイフが刺さる世の中は自然となくなると思います。

また、最近はTV番組などで、障碍を持つ人や性的マイノリティ(LGTB)などの方の出演をよく見かけるようになりましたが、一つ注意して欲しいのは、見かけること自体は偏見をなくす上で素晴らしいことですが、それを良いことに客寄せパンダとして彼らを利用することはいけないということです。

 

TVで見て知っても、その人の人柄や人生は絶対にわかりません。

 

今思えば自分が子供の頃も発達障害児が同じクラスにいましたが、どんどんそんな機会が増え、触れ合う場が増えるべきなんです。

 

おもんぱかることも素晴らしいことだけれど、どうしても上の立場から思いやっているという自己満感や偽善感は消えません。

 

今の私はまだそんな余力が無いですが、障碍のあるなしに関係ないコミュニケーションの場を作っていき、それが当たり前になる社会の一因となるように動き出そうと思えた年末でした。

 

今はどうしてもまだ差別や哀れみもある世の中なので障碍者と区別することを許していただきたいですが、障碍者とのコミュニケーションの場を増やし、自分自身や子供たちの理解を深めていく為に頑張ります。

 

その積み重ねがいつか、誰かの対等な世界に繋がるように。

 

60年前の東京オリンピックの時も、パラリンピックの効果でそれまで差別傾向にあった障碍に対しての風向きが変わったと聞いています。

 

それが今の私たちの”差別”→”哀れみ”への変化だったのかもしれませんが、このキッカケが先の未来に”対等”となるように願って、この記事の結びとします。

 

(それぞれのドキュメンタリー映像リンクも貼っておきます。youtubeでご覧ください。)