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長男と腰椎分離症 ~最終章~
2025年03月07日
前回までのあらすじ
令和4年10月 長男が腰痛を訴える
令和4年10月 ある整形外科に行くも、「問題なし。気のせい」と一蹴される
令和4年11月 やはり痛みは続いていると言うので別の整形外科を受診→重度の”腰椎分離症”と診断される→専用のコルセット&リハビリ&漢方薬で治療開始
令和5年3月 2年生から3年生に進学するのでクラス替えがあるとのことでクラスメイトがはしゃいで腰に痛みが走る
令和5年4月 小学3年生になり、担任やクラスメイトが変わる。痛みの訴えは落ち着く。運動の代わりに絵画教室に通い始める。
令和5年5月 運動会。一人だけ準備運動や体育座りすらできず、集団の中でも一人だけ浮く。
令和5年7月 定期的なレントゲン撮影でもしかしたら良いかもしれないと医師から言われる(もしかしたらという言葉に親はむしろ落ち込む)
令和5年9月 息子の9歳の誕生月なので、治療開始から10ヶ月でCT検査を提案するが、むしろ息子がしっかり12ヶ月での完治を望むとのことで親がたしなめられる。息子の成長を感じる。
令和5年10月 いよいよ来月1年ぶりのCT検査。息子に腰の調子を聞くと、実はここ1週間くらい痛みを感じていたとカミングアウトを受ける→ここから

より詳しいことはPart1~4へ(↓リンク参照)
息子「実はここ最近腰が痛かった」
ちょうど1年前に腰痛を訴え始めた時のようなトーンで話す息子に対し、
トラウマが襲ってくるように胸が締め付けられる。
私「いつくらいから?なんでその時に言わなかった?」
息子の唐突な言葉に感情的な言葉を言ってしまった。
息子「1週間くらい前から、たまにだけど。ちょっと痛い時があった。」
私「また友達が乗っかったり、転んだりとかしたの?」
息子「特に何かあったわけじゃないけど」

むしろ何もないのに痛む方が怖い・・・
ずっと痛みを感じていないと思い込んでいたので、治ってしまっているのではないかという期待があったが、やはり治っていないのかもしれない・・・
その時はわからなかったが、実は妹(小学1年生)と兄妹喧嘩をした際に、妹がわざと腰に攻撃していることが何度かあったようだった。
兄妹喧嘩はしょっちゅうある。
長男は妹に良くちょっかいは出すけど攻撃的なことはしない性格。
けど妹はどうしようもないと手が出てしまう性格で、腰が弱っていることを知っていてあえてそこを攻撃していることが何度となくあったようだった。
たぶん長男は妹のせいにしたくなくてそれを言わなかったんだと思われる。良い兄貴だ。
その事実を知った時、どうしようもないやるせない気持ちになってしまった。
本当にどうしようもない。
手を出すことは腰に限らず前から何度となく叱っていたが、親が見えないところでの喧嘩でやっているようだった。

妹も兄の治療に付き合い、公園などの身体を動かすことはかなり控えめに過ごしていた1年だった。
兄は兄、妹は妹ということもあるけど、妹が外で遊ぶ姿を見ていると長男のストレスが半端ないと思っわけで。
それなら家族全体で1年身体を使うことは控えめにしようとのことで、巻き込まれた妹のストレスも相当に溜まっていたと思う。
だから良いというわけではないけど、どうにもできないことではあった。
ただこれで腰椎分離症が悪化してしまい治らなくなってしまったらもうおしまいだ、くらいの気持ちにはなっていた。
じきに検査する日が来るので、それを受け入れるしかないが。
また眠れない日々が続く・・・

しかしここで、腰椎分離症になったことで生じた吉報も訪れる。
運動に代わりに4月頃から絵画教室に通っていたが、なんと絵のコンテストで長男の絵が”特選”を受賞した。
私としては寝耳に水で、絵を描いていたことは知っていたが、受賞したことも知らなければ賞に提出していることも知らなかった。
受賞を知った経緯も、私の父から「あなたのところの長男の絵が新聞に載っているようだが?」という連絡があることで知った。
そんな形で知ることある?
まぁなんにせよ、絵画教室に行くからには何らかの賞を獲りたい!と言っていた長男には素晴らしい朗報だった。
新聞社、そして市役所にも飾られたので記念に見に行き、次の年の1月に学校でも表彰され”盾”をもらった。「盾のワシがカッコイイ!」とすごく喜んでいた。

私は賞に出していること自体知らなかったが、絵画の先生はその絵をコンクールに出す予定だと長男に伝えると、長男は出来に納得がいっていなかったようで「この絵は出さない」と言っていたらしいが、妻が「せっかくだから出しなよ」と言ってくれたことで提出し、受賞したとのこと。
そういう意味でも長男は受賞にびっくりしていたし、妻は誇らしげだった。
腰のことが無ければ受賞しなかったであろう賞。
色んな面で驚きがあった賞だった。
不幸中の幸いというかなんというか、嬉しいこともあるもんだ。
令和5年11月 1年ぶりのCT検査
1年越しの治療結果が出る日。
なんだかんだあったが、息子はこれ以上ないほど頑張って治療に専念していた。
結果に関わらず、この日を迎えられたことを褒めちぎった。
親以上にタフで、そして健気に1年を全うした。
コルセットは本当に文字通りお風呂の時以外は絶対に付けていたし、文句も言わなかった。
日々のストレッチもリハビリの先生の言う通り、ほぼ毎日していた。
私が合わせた飲みにくい漢方薬とカルシウム剤も、私が忘れていても欠かさず「お父さん、漢方は?」と言って絶対に飲んでいた。
前までは常に姿勢も良くなかったが、前より常に気を付けた姿勢を続けていた。
学校の行事にも基本的に参加できなかったが、文句を言うことなく通い続けた。
本当に良くやり遂げた。
絵の特選なんかよりも何よりもすごいことをやってのけた。

ただ、結果が伴うかは別なわけで。
やることはやったので、結果は受け入れるしかない。
が、
どうか治っていてください。。。
息子が技師に連れられ、CT室に入っていった。
どうか治っていてください
そう思う間もなく、息子が出てきた。
MRIは30分以上変な音のする機械に挟まれ長くて大変だが、CTはわりとすぐに終わってしまう。

結果を知るのが怖くもあるし、早く知りたくもある。
CTするところと結果を聞く整形外科は別の病院なので、CT結果が入ったCDを貰って整形外科へ。
整形外科は混んでいたので、診察まで待つが、1時間30分ほど経ってもまだ呼ばれず。
待つ。待つ。。まつ・・・(怖い)

やっと控室のようなところに呼ばれ、そして診察室に呼ばれる。
診察室ではいつものように画面に息子の骨を写し出している。
医師「長男くんね。1年ぶりのCTね。うん。」
カリカリ・・・(マウスのホイール回す音)
連動してスライドされる腰部の写真。

(↑が1年経過した腰部。下の赤丸が骨折部分。くっついてね?どうなんだ?)
医師「うん。問題なくくっついていますね。完治しています。よく頑張ったね」

ほんとだよ。
本当によく頑張ったよ。
結果に関わらず頑張ったんだけど、やはり報われて欲しいし、報われて何より(涙)
どっと安堵が押し寄せる。
息子が一番良く頑張ったし、家族もそれに寄り添ってあげられていた。
学校のみんなも、祖父祖母も従兄弟たちも友達もみんなが協力してくれたおかげで何とか治りました。
それから今に至るまで1年と半年ほど経ちますが、好きなサッカーを再開し、腰は筋肉も骨も強くなるように鍛え、負担を減らし、食事や漢方などでの管理を腰椎分離症になる以前よりかなりしっかりと行って元気に走り回っています。
漢方薬でできたことは乳製品由来ではなく吸収率を考え漢方成分でもある牡蠣成分のカルシウムを主体としたもので補給したこと、また胃腸が弱いわけでもないけど消化吸収力を上げ子供の身体の土台を強くする漢方薬と成長を司る”腎”を強める漢方薬を組み合わせ息子に合わせて調合したものを飲ませ続けた。
今もその時ほどではないが、カルシウムやプロテイン、漢方薬と適度なストレッチ・運動を続け、再発しないように活発に運動している。
とりあえず腰椎分離症のブログはこれで終わり。
だが、同じように腰椎分離症になってしまった子やその親の気持ちは痛いほどよくわかる。
最近そうした親子からの腰椎分離症の治癒率を少しでも上げるための相談も増えてきているので、支援していきたいし、まず発見が遅くなる前に早期発見することが大事な怪我でもあるので、注意喚起はずっと続けていこうと思う。
青森の平成堂薬局 漢方相談薬剤師 櫻井 大輔